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 NPO法人 五色桜の会

 五色桜物語 日本語版

五色桜物語

 足立の五色桜が太平洋を渡ってワシントンポトマック河畔を彩るまで


◆江戸文化の花「サクラ」を後世に
 日本文化が大きく発展した江戸時代、大名の江戸屋敷で250種の里桜が栽培されていた。しかし、明治になって、江戸の大名屋敷は、住む人も無く荒れていました。植木職人高木孫右衛門は、屋敷内のさくらを集め描圃で保存していました。
明治19(1886)年、荒川堤の改修時に江北村村長の清水謙吾の提案で、資金と労力を村人が醵出して荒川堤に、78種3225本、距離約6kmの桜並木ができたのです。それまで大名に秘蔵の珍しい里桜が一般の人々が見ることができるようになり、日本の園芸文化の結晶である里桜が、ここから世界に拡がっていったのです。

 エリザ・シドモア  フェアチャイルド博士


 1902年の日本の風景


◆国家プロジェクトで優良苗づくりにチャレンジ
 そのことにめげることなく、今度は、サクラ博士のニックネームで通っている、桜に関しては世界を代表する三好学東大教授と三好博士すら教えを請うほどの、江戸時代から桜の研究で有名な、桜の生まれ変わりと言われた足立区江北の船津静作翁が中心になって、江北村の五色桜から栽子(つぎほ)を採取して、伊丹市の農家で作った優良な山桜台木に接木をして、静岡県の興津園芸試験場で細心の注意をはらって苗木を培養しました。

全部焼却された桜若木の根 三好学理学博士 船津静作翁
船津静作翁:桜にかけては、わが国の覇王と称された。全国各地から桜樹を取り寄せ植えていた。
世界の研究者が教えを請うた。


◆第2回目優良桜苗アメリカに到着
 2年後の1912(明治45)年に、尾崎行雄東京市長からの「日米友好のシンボル」として、再び桜苗木が贈られ、当時の駐米大使婦人珍田いわとタフト大統領夫人の記念植樹とともに3000本の桜がポトマック河畔に植えられました。
 その実現には、江戸の園芸文化から生まれた桜を守り育てた人々、日本の平和と美しい桜並木にほれ込んだ人々、日米の平和友好を求め優良な苗をつくった人々、それぞれの桜にかけた熱い物語があります。
 こうして日米の友好・平和のシンボル日本の桜の代表として足立の五色桜が太平洋を渡ってまもなく100年(2012年)になります。


タフト大統領夫人 珍田駐米大使夫妻


 ニューヨークに「SAKURA PARK」誕生


 ワシントンへの寄贈桜と同時にニューヨーク在住の日本人化学者で実業家の高木譲吉氏(タカジアスターゼ発明者)のもと3000本の桜が贈られました。その桜は、グランド将軍の墓のあるクレモント公園に植樹し「SAKURA PARK」と銘銘されました。式典の挨拶で「ヨーロッパの国々は、お祝いに軍艦を贈り或いは名将を派遣してきたが、日本は、軍艦も名将も派遣せず、ここに数百株の桜を送ってきた。軍艦は戦争を表彰し、桜は平和を現す。ちょっといい話ではないか」と述べたと言う。まさに、日本から贈った桜は平和の使者でした。そのほかハドソン川畔やセントラルパークに植えられました。ニューヨークは冬北極海からの風が吹くため枯死したものも多く、新しい木に植え替えられて現在にいたっています。

 桜~ハナミズキ 平和と友情の2つの花


1915(大正4)年、アメリカから桜のお礼に、白花種の北米原産ドッグウッド(日本名ハナミズキ)40本が贈られました。また、その翌年にも、D・フェアチャイルド博士から、紅花種のハナミズキ10本と繁殖用の種が送られてきました。アメリカの学童が日本の桜をほめたたえており、日本の子供たちまた、珍しい美しい花を咲かさせるこのドッグウッドを驚きの目でながめてくれるだろうと、フェアチャアイルド博士とスウイングル博士と大隈氏の友人桑島氏で、この花を日本に送ろうと決めたと言います。
日本からの旅行者(1938年)

◆ワシントン桜まつりの開催
 幼木が順調に成育し、昭和2(1927)年、第一回の桜祭りが大統領夫人や国務大臣婦人、
軍人遺族会など有力者たちの後援によって開催されました。その後も毎年時の大統領夫人が名
誉会長になって、パレード、車両通行を止めた通りにテントが立ち並び日本文化の紹介や、
酒、お茶その他の模擬店も出る盛大なイベントが開かれています。

1954年の桜祭りに日本から贈った石灯籠に天下する中米大使の娘。
例年桜祭りの開幕にはこの石灯籠に点灯する


 本家の桜絶滅・初回の里帰り桜も絶滅そしてレーガン桜の誕生


 その後足立の桜親樹は、戦後の苦しい生活のなかで伐採し燃料として使われたり、工場の煙害によって絶滅してしまいました。地元区民の要望で、戦後の暮らしも大分落ち着いてきた、区政20周年の昭和27(1952)年にアメリカに依頼して、367本の里帰り桜を贈られた。しかし、これもまた、高度経済成長に伴って急増した自動車公害にさらされ枯れてしまいました。

◆レーガン桜の誕生 さらに、足立区制50周年の昭和56(1981)年に、再度アメリカに依頼して里帰り桜をいただきました。このとき3,000本の穂木と一緒に明治45年にポトマック公園にタフト大統領夫人が自ら植えた木が成長し、今日市民に「タフト桜」として親しまれている木から採取し、挿し木を試みて多数の実験の中からたった一本成功した、「タフト桜の挿し木苗」が日本国民へ贈られました。この桜がワシントン桜まつりの名誉会長であるナンシー・レーガン大統領夫人の名をいただき、当事の鈴木東京都知事によって「レーガン桜」と命名されました。

 100年の花の交流、数々の人間ドラマを刊行


◆『ポトマックの桜物語 太平洋の虹とならん』 外崎克久著、エリザ・シドモアさんを中心とした太平洋を渡った桜の物語。
◆『友情の二つの花』 手島 悠介 著 日米友好の桜の返礼に贈られたハナミズキの原木をさがしもとめて、であった人々の物語。

 2012年は日米友好の桜誕生から100周年です。


 「日米友好の花」に所縁の地地域、その他アメリカと関わり持った地域や学校などでは。尾崎行雄、エリザ・シドモア、桜苗木、ハナミズキをキーワドに盛んな「桜の日米交流」をしています。
100周年を迎える、2012年に向けて、記念事業を計画しているところも有ります。



  NPO法人 五色桜の会